キレてます(人事コンサルの日常など)

経営コンサルタント各務晶久が日々の雑感、ノウハウなんかを綴ります

どちらかが100%正しいなんてことはほとんどない(人事の目線で)

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スポーツ界の不祥事を見るたびにうんざりする。


不祥事そのものではなく、「弱い個人」と「権力側」という対立構造を作り出し、断片的な情報で、「権力側」を徹底的に叩く昨今の風潮にうんざりするのだ。


日本には昔から「盗人にも三分の理」という言葉があるのはご存じだろう。一見して悪いと思う側にも、それなりの「理由・道理」があるという古人の教えだ(この場合の「三分」は3%ではなく、30%だそうだ)。


盗みは誰が見ても悪いことだが、盗みをしなければならない事情、そのような境遇に追いやった社会、救えなかった周りの人たちにも、責任の一端があるのでは?と問い直すこの言葉には愛情が感じられる。一方的に相手を責める前に、自分のことも振り返れということだ。


そう、もめ事は、双方に落ち度があるのが普通のことだ。


止まっている車への追突事故のように、どちらか一方が100%悪いというケースは非常に少ない。もちろん、100%相手が悪い場合もあるし、最近の一連の不祥事すべてが双方に問題があるといっているわけではないので、誤解しないでもらいたい。


交通事故ではなく、組織に属し、日々仕事を共にする者同士のトラブルなら、処し方ひとつで「そこまでひどくならないのに・・・」ということは少なくない。


にもかかわらず、「社員は組織から見れば弱者だ。弱者は守らねばならない。だから組織を叩く」・・・そのような短絡的なものの見方が蔓延しているように思えてならない。


日頃の抑圧(ストレス)を他人に投射することで代謝しているのかもしれないが、最近度が過ぎるように思う。

 

貴乃花相撲協会の問題はその典型だ。

貴乃花が多くを語らないので、情報が断片的で外野は何もわからない。だから、どちらが正しいなどとジャッジ出来ようはずもない。


当然、私はどちらを支持する立場もとらない(とれない)。興味本位で憶測を巡らせる外野でしかない。

 

マスコミは意外にも「貴乃花支持」と「協会寄り」で分かれている。しかし、ネットの書き込みを見ていると、どうも「貴乃花支持」が多い。特に若い世代がそうだ。


協会は「古い」「悪い」「醜い」権力の権化で倒すべき相手としてこき下ろし、一方、貴乃花は「クリーン」「改革者」「ガチンコの体現者」などのイメージで擁護している。


サイレントマジョリティーという言葉があるとおり、ネットで発言しない人の方が圧倒的に多いので、世間の本当の評価がわからない。なのに、自分たちの発言が世論であるかのように勢いづいている。


断片的な情報で事実関係がわからないうちに、匿名で無責任に一方を徹底的に糾弾するような行為は、何も生みださない。権力側にあるというだけで、役職者個人の人格を否定したり、容姿をからかったりする発言も少なくないが、彼らにも家族がいるのを忘れていないだろうか。

 

権力をかさに着た「セクハラ」「パワハラ」問題は決して許されることではない。そんなのは当たり前のことだ。当たり前のことをこれ見よがしに声高に叫ぶのは、賢い人のやることではない。物事は少し批判的に斜めから見る方が良い。


「セクハラ」「パワハラ」と冠をつけて弱者側が訴え出た事案は、それが本当にセクハラやパワハラの定義に該当する事案だったのか?当事者双方に問題はなかったのか?それが起こった背景は?など、冷静で十分な吟味はなされず、レイプ犯罪のような取り扱いで一刀両断される傾向がある。ややヒステリックな反応で、世間がもう少し冷静になる必要があるだろう。


人事担当者はこのような事例によく遭遇している。当事者たちから、よくよくヒアリングをしてみると、単に男女関係のもつれだったり、上司部下の折り合いの問題だったりするケースは決して少なくない。しかし、「セクハラ」「パワハラ」という言葉が最初に付いてしまった時点で、訴えられた側は組織内(明るみになれば世間)でバツがついてしまう。つまりは、「負け」なのだ。


人事担当者も「セクハラ」「パワハラ」という言葉が持つパワーに抗えず、穏便に済まそうと(訴訟やレピュテーションリスクを避けようと)、訴えた側の肩を持ちがちだ。事実がどうあれ、相手にダメージを与えたければ、「セクハラ」「パワハラ」というキーワードさえ出せばよいことになる。


このようにいうと、読解力の無い人から「セクハラ」「パワハラ」をする人を擁護するのかという思いもしない弾丸が飛んでくることがある。弾丸を発射する前に、文章を五回くらい読み返して欲しい。


一方、弱い側の一般社員の不祥事については、本人だけでなく、上司が監督責任を問われる。決して社員一人が悪いわけではないというわけだ。このような風潮だと、管理職になりたがらない人が増えるのもうなずける。

 

こうなってくると、社員(個人)は必ずしも弱者とばかり言えず、大きな権利や後ろ盾を持つ強者の側面も併せ持つ。権利は乱用してはならず、その行使には責任が伴うのが原則だ。


社員(個人)が強力な権利を盾に、組織(権力)に対して「ハラスメント」をしない仕組みをそろそろ考えなければ、組織や社会が病み始めそうだ。